2017年07月26日

影踏み

 やはりブログ更新のペースが落ちて来た。ブログ開始当初は毎日更新するはずだったのに、仕事に追われすでに二日も開けてしまっている。これ以上ブログ更新を間延びさせることは出来ない。だが何かを書いている時間も今の私にはない。といことで、今回も私は卑怯な手を使わせてもらう。読み物作戦だ。仕事の合間に遊び感覚で書いていた、実在の人物を勝手にお互貸した私の創作作品を載せておくことにした。実は前回載せた武さんとさんまさんの話が意外と好評だったため、これももしかしたらという期待はある。では、ご賞味あれ。





         ・影踏み             「マツコ&有吉」

「この人たちみんな陽の目見ないで消えてくんだよね。しかも半数の人はそれに気づいていながらも諦めることが出来ない。悲しいねー」
重く冷たい声が新宿駅西口に響いた。
 たむろするかのように歌うストリートミュージシャンたちの訝しむ目が一斉にこちらに向けられる。その視線に耐えることが出来ず僕は下を向いた。僕のスニーカーの先には大きな影が一山。路上でくすぶっていた火にガソリンをまき散らし、路上を闊歩するように歩く男が一人。カメラの前ではないため彼の服装は大人しいが、それでも彼は化粧をしワンピースを着ている。白と黒ではなく、あえて言えば灰にくすんだ白と黒の暗いボーダーのワンピースに、また暗い灰色のカーディガンを合わせている。男性が女物の服を着ているだけでも人目を引くのに、彼は女装という様式よりもずっと特徴が強い人間だ。もしも彼が女を捨て男の格好で街を歩いたとしても、やはり多くの人は彼を意識するだろう。彼は一般的な日本人と比べるととても大きく、そして図太い。まるで大地を悠々と歩くアフリカゾウのよう。彼にはそんな気は一切ないのかもしれないが、僕は彼が歩いてくる姿を見るだけで敵意を感じてしまうほどだ。もっと言えば今僕のスニーカーの先を歩く、この影からですら敵意が溢れんばかりだ。それに…いや、この辺で止めておこう。僕は彼が嫌いではないし、付き合いの長い同業者だ。頭の中であっても悪口を言うことは避けたい。
僕は彼の背中に一歩詰め、スニーカーで彼の大きな黒い影を踏んで歩く。こんなことをしても気分は晴れないが、彼をけなさない代わりにこれぐらいの遊びはいいだろう。
「ねぇ、どこにする?」
影を強く踏みつける遊びを始めた僕に、彼の鋭い目が向けられる。彼の言葉から察するに、僕の遊びがバレたわけではなさそうだ。彼が僕を殴りつけるようなことは無いだろうが、それでもそっと胸をなでおろす。
「マツコさんが行きたい店あるんでしょ?そこでいいですよ」
「いや、私の行きたい店西口じゃなかったのよ。あんたが勝手にテクテク歩くから間違っちゃったじゃない。もうどうすんのよ」
彼はあからさまに面倒臭そうな表情を見せた。そしてその面倒臭さの裏には疲れや呆れも見て取れる。彼のミスで西口に出てしまったのに、ただ付いてきただけの僕にこれほどの負の感情を含んだ顔を作る大男。一言いい返したい所だったが、それで彼が余計にこじらせてしまうことはやっかいなため、僕は健やかな笑顔を見せる。
「間違えちゃったんですね。それなら戻るのもあれですから、その辺の店に適当に入っちゃいましょうか。今日平日だから空いてる店くらいあるでしょう。ね」
彼の機嫌を損ねないための渾身の笑顔だったが、どうやらそれが彼の反感を買ってしまったらしい。彼は真っすぐにに口を結び、僕を見下ろす。
「何よ、その顔。いら立ちが見え見えじゃない。そういうのを皮肉な顔っていうのよ。ホントいやらしい人。それに何よ、適当な店に入っちゃいましょうって。私たち今日初めて二人きりで飲むのよ。それなのに適当な店って言う事ないじゃない。どうしてそういう言葉口にするの、信じられない。私飲むのやめて帰ろうかな」
彼は自分のミスを棚に上げ怒り出した。それじゃあ今日は帰りますか、という言葉を飲み込み、僕は屈託のない笑顔に困惑の影を微かに浮かべ、彼をなだめる。
「何言ってるんですか、ここまで来たんだから飲みに行きましょうよ。お互い忙しいからこんな機会なかなかないですよ。僕もマツコさんと飲みたいですし」
「本当にそう思ってくれてるの?」
彼は急に内気な声を出した。全然彼らしくはないが、本来彼はとても繊細な人間で、それを隠すために荒々しいキャラを演じているのかもしれない。きっとその方がマスコミやテレビ受けがいいのだろう。真面目なオカマをテレビに出してもどうにもならない。とにかく今がチャンスだった。今こそ手綱を引きムチを打ち込むべき時だ。二人の中で自分が上に立たなければ、今夜の飲みは地獄と化す。優位に事を進めるのだ。
「当たり前じゃないですか。ホラ、グチグチ言ってないで行きましょうよ。僕が知ってるお店紹介しますから」
「うん、わかった。それじゃあ行こうか」
暗い返事をする彼の手を引き、僕たちは人波を避けるように新宿駅から歩き出した。

 
僕は彼を連れ創業20年は経つ居酒屋に入った。この居酒屋は売り上げもそこそこのはずだがチェーン展開は一切しておらず、新宿に根差した名店だ。純和風の居酒屋で肉料理、魚料理問わず何でも美味いのだが、偏食の巨漢マツコは肉も魚も頼まずに、日本酒をかっくらい卵料理だけを食べ続けていた。後輩芸人がこんな偏った食べ方をしていたら、酒を楽しむ場とはいえ僕は説教をしていたであろうが、彼に対してそんなことをする気は一切起きなかった。自分の身の安全が一番なのだ。
「あんた最近どうなのよ」
偏った物を食べることにふけっていた彼が突然口を開いた。彼の突然の質問に、僕はワサビの良く染みた肉を口に運ぼうとしていた手を止め、質問に対する答えを考える。「最近どうなのよ」これほど難しい質問はないだろう。どう答えても彼がそれを寛容に受け止めてくれるとは思えない。例えばだ、例えば僕が彼の問いに対して「うん、最近調子いいですよ」と、無難な答えを返したとしよう。すると普通の人間なら「あ、調子いいんだ。良かったね」くらいの返答で終わるだろう。だが僕の隣で卵を食べている彼はきっと違う。「調子いい」という言葉にも、彼ならひと悶着付けてくることだろう。きっとこんな感じ。「調子いいって何。それじゃ私に何も伝わらないじゃない。何、何が調子いいの? 仕事?人間関係?それとも男女の関係? だいたい私ならお金周りが良くたって調子いいって思うわよ。調子いいって言葉は曖昧すぎるの。何でそんな曖昧な言葉一つで返そうとするの。私会話のスタートにしようと思って話振ったのよ。それでそんな答え返されたんじゃ、私どうすればいいの。『あぁ、そうなの』って私が言ったらそこで会話が終わっちゃうじゃない。ちょっとはコミュニケーション取ろうとする努力しなさいよ」 こんなことを言われてしまってはせっかくの酒がとてつもなく不味いものになってしまう。酒を前に不快な思いはしたくない。僕は覚悟を決め神仏の前で禊をする思いで口を開く。
「最近はようやく楽しくなって来たって感じですかね。番組も長く続いてくれてるし、仕事の方もかなり安定してきましたからね。10年前が嘘のようですよ」
マツコはガラス細工のような酒器を傾け、酒を飲む。いや、飲むという表現は正しくない。彼は酒を飲んでいるのではなく、ただ胃に流し込んでいるかのように僕には見えた。器の中を空にし、彼は今日初めて僕を友好的な目で見る。
「そうよね、私もまさかここまで人生が順調に運ぶとは思わなかったわ。人目に晒されることを避けられなくなる、多大な犠牲は払ったんだけどね」
彼がまともなことを言ったので、僕はうなずいた。
「うん、外で何するにしても人の目は気になりますよね。僕だってそうなんだから、マツコさんならなおの事でしょう?やっぱ目立つし」
僕から思わず出た軽口に、彼の動きは一瞬止まる。卵料理を咀嚼していた口の動きを止め、僕を見た。今僕は見たと言ったが、実際にはこれも語弊があるように思える。彼の人を見るという行為は、ある意味威嚇に近いものがあるのだ。事実、彼は今僕を見据え威嚇をしている。何故僕はお酒を飲みながらこんな苦痛を味わっているのだろう。
 僕は身を固くしたが、彼の威嚇は僕から彼の口内へと移り、すでに飲み込めるまで小さくなった卵料理を更にかみ砕き始めた。ビールでそれを流し込み、彼は何とも皮肉めいた眼で僕を見る。捕らえられた囚人の気分になり、僕は低く首を沈めた。
「新しい番組、楽しめてる?」
「かりそめのことですか?」
「そうよ、新しい番組ったらそれしかないじゃない」
「僕は結構楽しめてますけど、マツコさんはそうじゃないと?」
彼は大きな体の上に乗った顔を小さく振って見せる。
「楽しめてるのよ。楽しめてるけど、視聴率も下がってるし、なんかこれでいいのかなって思ってさ」
「あー、やっぱり視聴率は怒り新党の時よりかは下がってるみたいですね。三大調査会がなくなったのが痛かったですね。あれ僕も好きでしたし」
隣に座る彼が一瞬膨らんだように僕には感じられた。横っ腹につまようじを刺したい衝動に駆られる。
「でも一番痛かったのはあれじゃない?」
「何ですか?」
「夏目ちゃんの損失」
ワサビの風味に混じりけのない悪意が乗り、僕の鼻を強く打つ。何故ここでその話題を出すのかと、僕は呆れる。だがアルコールに背中を押された彼の口は止まらない。
「夏目ちゃん可愛いし賢かったのに、どうして辞めちゃったんだろうね。もったいない」
いやらしく笑う彼を無視して、僕は最後の肉を口に運び、この嵐が過ぎ去るのを待つ。下手に手を出せば大怪我をしてしまうだけだ。
「彼女さえいれば怒り新党だってまだ続いてたと思うし、かりそめだってここまで停滞しなかったと思うんだ。意外と彼女が番組の屋台骨だったのかもしれないね」
ビールを一口飲み、彼は僕の背中に丸い手を置く。
「つらいわよね。どうしてこうなっちゃったのかしら」
僕は耐えきれず口を開く。
「もうこの話題止めません」
「あら、何か気に障ることでもあった」
僕は無理に半笑いの表情を作り、絞り出すように声を発する。
「もうその話は過ぎたことですし、今は二人で楽しくお酒飲んでるんですから、そういうのは止めにしませんか」
「怒ってるの?」
「怒ってないですけど、ちょっと僕も不快には思っちゃいますし」
彼は僕の背中から手を放し、三敗目のビールに口を付けた。
「うん、わかった。あんたが嫌ならこの話は止めにする」
「嫌がること承知で話してたでしょう」
ジョッキの中のビールを水のように言に流し込み、彼は僕に強い目を向ける。ただ強い眼光にも拘らず、その目には彼が普段常にまとっている敵意は無いように感じられた。不思議な目。
「この話は止めるけどさ、あんた最近なんか引きずってるんじゃない。上手く言えないけど、前に比べて今のあんたは陰気よ。陰があるわ、陰を引きずってて暗いのよ」
「そうですかね」
彼が言いたいことが全く分からないわけではなかったが、確信を隠す言い方に背中がむず痒くなった。
「辛いことがあったのかもしれないけどさ、陰気な気持ちでいたら駄目よ。物事何てそうそう上手くはいかないの。悔しい思いだってたくさんする。でもそういう苦難を乗り越えていくのも人生の楽しみの一つなんじゃないの。生まれた瞬間から勝ちが決まってるどこぞのお坊ちゃま達より、私たちの方がずっと裕福に生きられるの。だから楽しんでいきなきゃだめよ」
どうやら彼は僕を励ましてくれているようだ。そのために今日僕を飲みに誘ってくれたのかもしれない。僕は皿に残っていたサラダを箸でかき集め、一気に口に運ぶ。サラダという前菜の姿をしていた野菜に付着したドレッシングは思いのほか辛く、彼の言葉と同じ味がした。
「お坊ちゃま、嫌いですか」
「大嫌いよ。祖父母やら両親から安全に確実に成功する道を与えられて、その道をベビーカーに乗ってお世話係さんにでも押させてさ、おしゃぶり口に付けたまま大人になって、偉そうに私達を見下してさ。自分の足で歩いたこともない癖に最低」
僕は素直に笑う。
「怒ってますね。それで、そんなやつらと僕らは違うと」
「当たり前でしょ。親のコネも金もなけりゃお世話係さんだっていないし、未舗装の道を自分で開きながら歩いてんだから全然違うわよ」
ビール三連続の後で頼んだ、場違い甚だしい桃で作られたカクテルを彼は一口で飲み干し、アフリカゾウの足のような首を振る。
「違う違う。話はずれたけど、私たちはそうやって生きてるんだから怪我だってするわよ。つまずいたって仕方ないわ。つまずいてドブに落ちて泥だらけになったってね、それを糧にして進んで行くの。それでいいの。こっちは必死に生きてんだから、笑いたい奴らは笑わせておけばいいの」
温くなったビールを飲み、僕は口を開く。
「ああ、最後までは言わないんだ。進んだ道の先には輝かしい景色が見えてるわよ~とか」
「そんなことまで私が言ったら格好悪いじゃない。輝かしい景色なんて言葉、私らしさが微塵もないじゃない」
僕は肩を思い切りたたかれ椅子から転げ落ちそうになるのを堪え、彼を見る。
「じゃ、どんな景色が待ってるかはわからないけれど、とにかく転んでも怪我しても暗い顔してないで前に進めってことですね」
「そういうこと」
少し気分が良くなった僕は、彼のように残っていたビールを一気に飲み息を吐く。そして続けて嫌味も吐く。きっとそれが僕らしいから。
「ありがとうございました。気を使ってくれたんでしょ。優しいですね」
僕の言葉が聞こえない振りをしてそっぽを向く彼の脇腹を、僕はこちょばしてやる。すると、アフリカゾウが跳ねた。
「うぎゃっ、何するのよ」
体格からは考えられないほど俊敏な動きを見せた彼は、僕を思い切り叩いた。ただ笑っていただけの僕の頭を思い切り叩いたのだ。彼をからかうことは、鎌倉時代の殿様の前で放屁をするように命がけだ。それでも僕は再度笑いながら彼の横腹に手を伸ばし、彼はその手をハエのように叩き落とした。

 その後も僕らは何度か笑い、店を出た。理由は全く分からないが、支払額の3分の2は僕が持つ羽目になったが、文句は言わなかった。もういいのだ。
夜の風に吹かれ、僕は彼の背中を見ている。本当に小山のような背中。厚い脂肪の乗る背中に僕がほくそ笑んでいると、小山は動いた。
「排ガス臭いとか言われてるけど、やっぱり新宿の空気はいいわねー」
彼の言葉に僕はうなずく。
「うん、言われるほど臭くはないよね」
僕の短い返答に詰まらなさを覚えたのか、彼はまた口を結び前を見る。彼が無表情で眺める道路を走っていく車は、やはり高級車が多い。吐き気を覚えるほどの高級車の列。僕のいた地元では決して見れなかった光景だ。赤信号で止まったら、一台蹴りを入れてやろう。これだけ高級車が走っているのだ、一台くらい蹴ったって文句は言われないだろう。
「意外と楽しかったし、もう一軒行っちゃおうか」
高級車のライトに照らされる彼に、僕は答える。
「もう一軒? 僕けっこう酔いが回ってるんですけど」
僕の言葉に彼の顔は一瞬で歪む。
「あぁ、そう。じゃあ帰ろっか」
ふて腐れ歩き出した彼の影を踏み、僕はわざとらしく慌てた声を出す。
「ウソウソウソウソ、僕ももう一軒行きたいです」
彼は振り返り、70年代前半のアメ車のようなふてぶてしい笑みを見せる。
「でしょ?」
太い一言だけを残し、彼はまた歩き始めた。僕は首を少し曲げ夜空の下に広がる新宿の明かりを見る。もはや見慣れ切ったけたたましい光に、僕は目を細めた。きっと彼はこの夜のように、僕がどれだけ泥にまみれても変わらずにいてくれるのだろう。
 僕は偶然足先に転がっていた小さな石ころを蹴り上げ、先に歩き出した彼の背中を探した。彼の影を踏むことは、悪くない遊びだ。もう少し付き合ってやろう。


芝本丈

posted by シバモト at 20:41| Comment(0) | 読み物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月23日

・笑い風

 仕事の合間、気分転換のために遊びで短い読み物をつづる時が、私には良くあります。
これは数時間の遊びの中で、力を抜き書き上げたものの一つなのですが、何人かの知り合いに見せた際に思わぬ高評価を頂けましたので、アップしてみたいと思います。あくまでも仕事の外の物ですので、詳細な手直しも見返しをした作品ではございませんため、誤字脱字等お見苦しい点が多々あるかもしれません。ですが皆さまが時間のある時にでも、さらっと目を通していただける読み物になれば幸いです。これは私の大好きな芸人さん二人を使わせていただいたお話です。
お前なんかの作品読んでられねぇよって方は、最後の方に目を通してください。つまり言いたいことはそういうことです。

 これは実在の人物を私が勝手に動かした創作作品ですが、不快感を感じられる方がいたら大変申し訳なく思います。




             ・笑い風            (北野武&明石家さんま)


風を求め、湿り気の強い廊下を手提げ袋を片手に一人歩く。草一本生えることのない冷たい道。
新調した革靴の新しさを誇示するかのような軋みが耳障りだが、その不快な音を生む足の動きは思いのほか軽やかだった。
 歩く自分の横を蒼白な顔をした若手のテレビ局員が走り抜けていく。その際に「お疲れ様です」と、しっかり挨拶をし、一日中走り回った疲労の香りを一欠片残して。

 目的としていた部屋の前で立ち止まると、扉の中から甲高い笑い声が聞こえてきた。誰か客でも来ているのだろうか、声が止む様子はない。だがここまで来て引き返すことは、しゃくに障る。意気揚々と話す声に割り込むように武は二度扉を叩く。コン、コン、と遠慮がちな音が鳴り、それに応じ扉の中からは鬱陶しそうな声が返ってくる。
「はい?」
短く大きな声には、面倒臭さのモヤがかけられているように感じた。
「俺だけど」
武の声を聞き、部屋の主の声が様変わりする。
「え、ちょっと待って下さいよ」
重く見えた扉はことのほか軽快に開き、慌てた様子の主が顔を覗かせる。手には古い型の携帯電話が握られていた。
「武さんじゃないですか、珍しいですね、どうしたんですか?」
さんまは先ほどの短い返事が嘘のように高揚とした声を出した。一種の公害のような大きな声だったが、彼の様子から察するに自分が急に楽屋を訪れたことは迷惑ではないらしく、まとわりついていた不安は姿を消し、武は肩の力を抜く。
「いや、今日お前も来てるって聞いてさ」
「そうなんですよー、収録日変わっちゃってね。そっちは今ニュース終わりですか? あ、それよりこんなところで立ち話もなんですから、入ってください」
何故かさんまはニュースと言いながら眼鏡を指で上げる仕草をした。ニュース番組はインテリジェンスなもので、インテリな人間は眼鏡をかけているだろうという彼の主観の表れだろうか。だが武はそこに触れない。
「入っていいの?」
「何言ってんですか、当たり前でしょ。入ってくださいよ」
いつも通り陽気な空気をまとう男に、武は意地の悪さを覗かせる。
「いや、でも今日はいいや。なんか忙しいみたいだし、声も怖かったし今度にするよ。また出直します、お邪魔してすみませんでした」
頭を下げる武に、さんまはわざとらしく慌てる様子を見せる。声と同様にリアクションもまた大きい。
「そんなことないですってー。久し振りなのに何でそう言いうこと言うんですか。ほら、入って、入って」
さんまは顔に笑みを浮かべ、武の背中を強く押す。

 
 さんまの楽屋は、武が局に用意された楽屋と同じで無駄に広く、寂しさが広がっていた。白い大きなテーブルの上に忘れられたようにポツリと置かれた食べかけの弁当が、その寂しさをより際立たせていた。寂しさを強調する弁当から目を背けたかったが、避けることに息苦しさを感じ武は弁当を指さす。
「この弁当、俺の番組でも毎回用意されてるんだよ。これ不味いだろ」
武のつぶやくような言葉に、さんまは大きく目を広げる。職業病なのだろうが、やはりリアクションが大きい。
「何言うてはるんですか。僕食べてビックリしましたよ、こんな美味い仕出し弁当あるんだって。これを不味いなんて、あんた普段からいい物食べ過ぎなんですよ。トリュフやら松茸やらポルチーニやら」
「それ全部キノコじゃねーか。そんな馬鹿みたいにキノコばっかり食べてたら、体にキノコ菌寄生して風呂上りにキノコ生えてくるよ。そんなことになったら、街歩いてたらオネェちゃん達寄って来ちゃうじゃないか。『あらあそこに美味しそうなキノコ生えてるわ、食べてもいいかしら』って」
楽屋の中に風が吹く。ケタケタケタケタケタ 白い歯を前面に出し、手を叩きながらさんまは笑った。ケタケタケタケタケタ ケタケタケタケタケタ 壊れたような笑い方。誰かに操られているのではないかと、彼を吊るす糸を探したがどこにも見つからない。喉を鳴らし、何とも気持ち良さそうに笑う彼を止めることは悪い気がしたため、武はそのまま話を続ける。
「7Daysじゃ毎度この弁当出してくるから、いくら美味くても飽きちゃうんだよ。だから俺なんて今この弁当食わないで、インスタントのカップ焼きそば食べてるからね。けっこう美味いんだ、これが」
首に筋を立て笑っていたさんまが、意外と作りの良い顔を元の位置に戻す。その顔には笑いはそのまま残っているが、笑みの種が変わったように思えた。笑顔の奥に楽しさが透けて見える。久し振りに会う武との二人だけの空間にようやく落ち着き、楽しむだけの余裕を得たようだ。
「えぇっ、でも武さんカップ焼きそば食べるにしたって、楽屋では湯は沸かせても湯切り出来ないでしょう。床にお湯捨てるわけにもいかないし。どやって食べてはるんですか?まさかお湯入れたまま食べてるわけじゃないんでしょ。そんなん焼きそばじゃないですよ」
「そんなことわかってるよ。マネージャーに給湯室で湯切りだけしてきてもらうんだ。で、そこからは俺が作るの。作るったってソース入れて青のり振りかけてカラシマヨネーズ適量入れるくらいのもんだけどな。それぐらい自分でやらなくちゃ駄目人間になっちゃうからさ」
さんまは感心したように喉の奥から声を出す
「ほぇ~、真面目というか何というか。全部人任せにはしないんですね」
「うん、まぁね。でもさ、俺のマネージャーけっこうな歳なんだよ。俺より二つか三つ若いくらいの年齢。そんなんだからさ失敗も多いんだ。カップ焼きそばなんてさ、お湯入れて3分待ってお湯捨てるだけだろ。それが出来ないの、今のマネージャー」
思惑通り興味深げにさんまは聞く。安い撒き餌で真鯛をひっかけた感覚だ。
「それの何が出来ないんですか」
「ん、聞く?」
「そりゃ聞きたいですよ。そこまで言うたんなら最後まで責任持ってちゃんと話さんと」
さんまは武のマネージャーの話に興味を持っているようだった。早く早くとじゃれつく犬のように、話の続きを促すさんま。彼の待ちわびる表情だけで武は酒が飲めそうだった。自分の中で紡ぎ合わせた言葉で人を酔わせその先を望ませる。その状態を作り出すことに武は卓越した技術を持っていたが、自分の話に相手が飛びつかんとするほど焦がれる様には、今でさえ喜びを感じてしまう。そして、その相手もまた洗練された手腕を持ち、自分と同じ高さに座することのできるほどの人間なら喜びは一層の高まりを見せる。武はゆっくりと話始めた。
「まずね、あいつ老眼だから、焼きそばの作り方の説明文をよく読めないの。あれってけっこう字ちっこいだろ。でさ、二カ月くらい前かな。初めてカップ焼きそば作ってきてくれって頼んだんだよ。給湯室でやってきてくれって。で、俺は台本に目を通して待ってたわけ」
「はい、はい」と、相槌を打ちながらも、さんまの眼球は今にもこぼれ落ちそうになっている。
 この男は笑い話が大好物なのだ。溺れた状態で浮き輪と笑い話が流れてきたら、この男なら迷わず笑い話に飛びつくのではないだろうか。生きることは笑う事、死してなお笑いを。笑いの権化だ。
「で、ちょっと戻ってくるの遅いから、給湯室混んでるのかな~くらいに思ってたわけ。そしたらそいつ戻ってきて、自慢げに言うんだよ。『武さん、焼そば作って参りました』って、こんな顔してさ」
武は大げさに顔をひん曲げて見せる。それと同時に、さんまは顔を上げ手を鳴らす。
「いや、その人にしたら頑張ったのかもしれませんやん。大変な作業だったんでしょう、きっと」
「違うの、そこじゃないんだよ。よし、食べるかと思ってフタ開けたらさ、もうね、麺がぶよんぶよんに伸びちゃってて、ケースから溢れ出そうになってるの。だから俺『なんだよ、これ』って言ったの。そしたらそいつは『え、ちゃんとやりましたよ』って顔してくるわけ。俺も楽しみにしてたから、腹立って聞いてみたんだよ。『おまえこれ、どうやって作ったんだって』、そしたら湯切りまで7分も待ってたっていうんだよ」
「7分?どういうミスですかそれ。普通ああいうもんって待つ時間3分くらいのもんでしょ」
「だろ?7分も湯につけとくって、嫌がらせにしか思えないだろ。人が食うのを楽しみにしてるものを、そんなにするなんてな。あれじゃ老人食だよ。こしも何もあったものじゃない。それで問い詰めたらさ、3分たったら湯切りってのを7分と読み間違ったっていうんだけど、いくら老眼だからって3と7を読み間違えるか? 形が全然違うだろう。3を5と間違ったってんなら俺はまだ我慢できるよ。なんとなく形も似てるし、5分くらいならまだ食えるから。それが7分だよ、酷すぎるだろ」
さんまは相づちを打つのも忘れ、ケタケタと笑っている。目の前の男の笑う姿に武の口は更に潤滑になっていく。自分の話で笑ってくれる人間がいることは、どんな賞を受けることよりも喜びは大きい。
「それだけじゃないんだよ。どこ探しても焼そばに入れるソースが無いの。青のりとマヨネーズはあるのに、ソースだけないんだよ。それ言ったらさ、あいつ『ソース置いてきちゃったかもしれません、取ってきます』って血相変えて走っていくんだよ」
楽屋で気を緩めていたさんまの笑いは止まらない。喉をひぃひぃ鳴らし笑っている。武はさんまの喉が擦り切れて穴が開かないか心配になる。そしてそれと同時に快感を元にした笑いが武の顔を覆っていく。
「でさ、かなり焦ってたんだろうな。そいつ顔真っ赤にして戻って来たんだよ。で『すいません、もうありませんでした。清掃係のババアに捨てられたようです』って涙声で俺に報告するわけ。「ふざけんじゃないよって。掃除のおばちゃんのせいにしてさ、麺はぶよんぶよんだわ、ソースはないわで、青のりとマヨネーズはしっかりあるの。なんか奥歯にものが挟まったみたいだろ。ソースが無いなら青のりもマヨネーズもない方がいいよって。不格好すぎるだろ。もうね、あいつの行動の全てが悪質なの。俺の映画でそんなことしてたら、あいつの指一晩で全部なくなっちゃうよ」
ケータケタケタケタケタ、ケタケタケタケタケタ、とさんまは一層長く大きく笑った。まるで壊れたばね人形のよう。ケタケタケタケタケタ、ケタケタケタケタケタ 彼の笑いは永遠の螺旋を描くように止まることを知らない。青い空の下、突然吹いた強風のような笑い。
 一切の迷いのないその笑いが、秋の夜の寂しさを少し和らげた。

 彼の笑いが収まるのを待ち、武はテーブルに手提げ袋を置いた。飢えた獣のような反射神経でさんまは聞く。
「気になってたんですよ。何なんです、それ」
「うん、貰い物のワイン」
「えー、これ、いただけるんですか。武さんがもらってるくらいだから、もしかして有名どころのワインですか?」
武は小さく鼻で笑い、産地とヴィンテージを告げる。
「ボルドーの95年物」
「そんなん言われても僕にはわかりませんよ。ワインの名前は?」
手提げ袋からボトルを取り出し、さんまに手渡す。
「シャトー・ラフィット・ロートシルト」
「うわっ、いいとこのじゃないですか。これ高いんでしょ。いいんですか?もらっちゃっても」
「多分20万くらいじゃないかな。なかなかの当たり年らしいから美味しいと思うよ」
「でもどうして突然僕に?」
照れを隠すように武は頭をかく。
「俺最近ワイン飲み過ぎててさ。ちょっとワインから距離置こうと思ったんだ。女でも時間空けてから会うと良く見えることってあるだろ、同じ女なのにさ。だからワインとも一度離れてみようと思って。けどさ、距離置いたってもう一度ワインと付き合うかはわからないだろ? 二度と飲まないかもしれない。でさ、ワインって生きものじゃない。飲み方によってさまざまな表情見せてくれて、でも本当の姿はなかなか見せてくれない気難しい奴。そんなワインがさ、飲んでくれるかどうかもわからない奴の所に居てもつまらないと思うんだ。それで少しでもワインが好きな奴のとこに置いておいてやろうと思ってね」
さんまは半笑いの表情で口を開く。
「あ、僕にくれるんじゃなくて、僕が保存しとけってことなんですね。でも仕事終わって家帰って酒なかったら、これに手つけちゃうかもしれませんよ。責任持てませんからね」
「いいよ、飲みたいなら飲んじゃえって。下手に家に転がしといたら、上機嫌な奴がそっぽむいちゃうよ。すねた女と飲んだってつまらないだろ。だから保存の仕方もよくわからないなら、美味いうちにさっさと飲んじまうほうがいいんだ」
「劣化ってやつですね。ワイン好きの人、良くいいますもんね。上等なワインをプショネにするんは最低だって。ほなら僕、預かってるもんとは思わずに、ほんま飲みたくなったらすぐ開けちゃいますから。ワイン腐らせないように。いや、もう腐ってるか。駄目にしないように」
受け取ったワインボトルを大事そうに抱えるさんまに武は笑いかける。
「でもさ、飲んだなら金払えよ。それは俺がお前に貸し付けてるワインなんだから」
おちょくりを始める武。悪い癖だとはわかっているが、この悪癖が抜けることは無い。おそらく心身に沁み込んでしまったものなのだろう。そしてそれをよく理解しているさんまの口調は軽い。
「いや、さっきくれるようなこと言ったじゃないですか。飲みたくなったら飲めって。だからこれはもう僕のものですよ」
「いや、なんか手離したらやっぱりそいつが可愛く思えてきてさ。おまえのところにやるの、いたましくなっちゃった」
「ダメですよ、そういうとこ治さないと。あんたの悪いとこですよ」
「わかった、わかったよ」
そう言いながらもワインボトルに手を伸ばす武。
「何ですか」
ボトルを隠すように身をよじるさんまに、笑いながら武は言う。
「取らないって。ほんっとに疑り深いなお前は。ちょっと貸してくれよ、それ」
「もう~、今度はなに」
すねるようにボトルを渡すさんまに幼さを感じ、不本意ながら小さな愛しさが沸く。
「おい、お前が抱くように持ってたから、ボトル温まっちゃってるよ。これでワイン壊れてたらどうするんだ、もったいない」
さんまはすぐに言葉を返す。
「あんたが取ろうとするからでしょ」
怒りながらも笑うさんま。二つの感情を同時に顔に表している。見事なものだ。怒りながらも高らかに笑う狂人。そんな役者が人を殺めるシーンを脳内のスクリーンに映し出し、一人鑑賞にふける。高級スーツの下に笑顔のミッキーマウスのTシャツ、手には牛刀。けたたましく雨が降る夜の繁華街の片隅に、そんな狂人と悪しき被害者。意外と映えるかもしれない。しかし、唐突に始まった映画鑑賞は終わりも唐突に訪れる。
「ちょっと、武さん。何一人で固まってるんですか? 用ないならワイン返してくださいよ」
狂人の鋭い声にスクリーンは暗転し、余韻に浸る間もなく、突風がごとく笑う男の楽屋に戻される。
 視線が結ばれたため、さして言葉の選択はせずに目の前に座る男に言葉を発する。
「ワインっていいよな。おいら達は月日がたつごとにガタが来るけど、ワインってのは保存法さえ間違えなけりゃどんどん洗練されていくんだぜ。人間が作った飲み物なのに人様より賢く生きてやがる」
意図して出した言葉ではなかった。そのため深い意味も持たない。ただベクトルこそ違えど、自分と同じく誰もたどり着くことのできない孤高の座に位置するこの男なら、何か受け取ってくれるかもしれないと薄い期待はあった。
 その考えは正しかったのか、目の前に座る男は目を細め皮肉に笑う。狂人の笑みだ。
「あんた、何か悩んでるでしょ。なんか今日は顔が暗いな~思てたら、ワインなんか羨ましがって。ホント困った人やな~」
「だってさ、年取ると年取っていくと体だけじゃなく、脳まで退化していくんだぜ。おいら達だっていつかは表舞台から降ろされちゃうよ。ずっと明るい照明の下にいる気はないけどさ、ここまで身につけてきた技術が身から離れていくってのは悲しいだろ。こういうものは一度失われると二度と戻っては来ない。気づいたらボケ老人になっちゃってるよ」
さんまは座ったまま背を伸ばし顔を上げる。表情は見えず、顔色をうかがえないことに薄い不安を武は覚えた。
「なにアホなこと言ってはるんですか」
椅子に深く座り直す武の前に、さんまの顔が戻ってきた。その目には強い光が見て取れる。
「あんたね、いい年してそんなことで悩んでたら駄目。僕らはもう十分老いてるんだから、これ以上老いることに何の恐怖もないでしょう。この年齢で誰も登ってこれない切り立った山のてっぺんにいるんですよ。もう十分でしょう」
さんまは真っすぐに目を見つめてくる。今この男には言葉は必要はないだろうと、武は口角を上げ笑みで言葉を返す。
「そうですよ。笑いなさい。笑ってればいいの。僕らどんな時だってそうしてきたでしょ。例えどんなに辛い人生でもね、笑顔でいれば人生は楽しくなってくるの。笑ってる人の所には、どんなに小さくても必ず幸福は降ってきますよ。だから笑ってなさい。暗い顔してちゃ駄目」
更に笑みを深くし、武はうなずきかける。空っぽだった楽屋の空気は熱を持ち始めていた。
「表舞台から降ろされたからって何だって言うんですか。あんたや僕を引きずり降ろしたい奴がいたとして、それが望み通りいったとしてもね、そいつは絶対後悔しますよ。僕らの色は僕らにしか出せないんですから。しょーーーもないお気に入りの顔を僕らの後に置いたからって、そいつが武さんや僕になれるわけでもない。ほなら僕らはどっか酔いどれが転がる路上で漫才でもしてましょうや。光る奴は表舞台に立たんくても光るんです。ゴミだめの中にいたって輝けるんです。よし、路上でツービート漫才やりましょう。受けますよー」
笑いながら大きく体を震わせ、武は吠えるように言葉を発する。
「俺はまだいいけどさ、お前は絶対ツービートって柄じゃないよ。口が回るし8か16でもいけるだろ」
ケタケタケタケタケタ さんまは笑う。
「いや、やろうと思えばできると思いますよ。でもそんなビート上げて、武さん付いて来れますか?無理でしょー」
「馬鹿野郎。俺が何年お笑いやってきてると思ってんだよ。なんなら32ビートでもいけるよ。高速漫才。客が何言ってるか全然聞き取れないのな。『えっ、何、あの人達何言ってるの?』ってな」
心地よい高らかな笑い声を上げながらも、素早く合いの手は返ってくる。どこにボールを投げても、必ず投げ返してくれるありがたさ。
「客を相手にせず、自分たちだけが笑える漫才ね。いいじゃないですか、ホントそれやってみたくなりましたよ。練習しよかな」
顔を高揚させ武は手を振り、言葉を飛ばしながら笑う。
「でもね、実際に漫才やってるおいら達も、実は何言ってるかわからないのな。ただ、わぁーーー、うわぁーーーって叫んでるだけなの。それがおかしくて二人で肩たたき合いながら笑ってさ。客ポカーンだよ、このボケ老人たちはいったい何やってんだろうって」
ケタケタケタケタケタ ケタケタケタケタケタ ケタケタケタケタケタ
今日一番の突風が楽屋に吹き、二人の笑い声が重なった。

 笑いを引きずりながら武が部屋を出ると、先ほどの若い局員が、一層顔を青くして廊下を歩いてくる。上着を羽織っているので、ようやく帰路につけるところらしい。まだ20代前半であろう局員は、武の姿を目に停めると、すかさず姿勢を正し「お疲れ様です」と廊下に枯れた声を響かせる。そしてまた歩き出す疲れた背中に、多くの言葉が浮かんだ。その中の一つを口に出す。
「おい、逃げ出したいほど辛いだろうけど、今が頑張りどころだぞ。辛い時こそ笑っちまえ」

振り向いた彼の顔に、淡い花が咲き風が吹いた。



作 芝本丈
posted by シバモト at 14:50| Comment(0) | 読み物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月20日

ゴッホの美

 札幌にある道立近代美術館で8月26日からゴッホ展が始まるので、本日はゴッホについての話を少々。

 私はそもそも美術品や芸術品が大好きだ。美術品や芸術品は様々な形をしており、様々な主義主張が現われているが、そのどれもに共通する点がある。それは、美しさだ。心奪われるような美しさから、悲しみに打たれてしまう美しさ。作品を見て感じる美しさも多種多様ではあるが、確かなことはどの作品にも美が存在しているということ。そしてその美しさはゴッホの作品からも感じ取れる。

 まずはゴッホについて簡単に説明を。ゴッホは後期印象派の中でも最も名の知れた、オランダ出身の画家。絵の具の質感を顕著に感じさせる技法や、色を多用した強烈な色彩による対象描写で多くの作品を制作し、ドイツ表現主義など後世の画家に大きな影響を与えた作家でもある。そして浮世絵絵画などを集めていたという一面もある。

 ゴッホは浮世絵絵画の技法に興味を持ち収集し、それを模写した油彩画を描き、浮世絵の構図や色彩を学び取っていったこともあり、ゴッホの作品には浮世絵絵画に共通する点も見て取れる。その影響が顕著に表れているのがゴッホ作「タンギー爺さん」であろう。「タンギー爺さん」の背景には渓斎英泉や歌川広重の浮世絵の模写画が描かれており、その背景の前に座るタンギー爺さんに深々とした情緒をもたらしているように私には見える。ゴッホが残した作品の中で、この「タンギー爺さん」も、私にとってとても愛すべき作品の一つだ。

 ちなみにこの「タンギー爺さん」をゴッホが描いた時代は研究時代ともいわれていて、パリで流行していたスーラシニャックが祖とされる点描画法(純色の絵の具を細かく点のように敷き詰めて描く技法)や、浮世絵に見られる平坦なタッチで描かれる技法クロワソニスムを模倣していた。こういった小さな知識でも頭の中に入れておくと、また違った角度から美術品を見ることが出来る。なので、後二つほどゴッホの技法の変化を紹介しておきたい。

 研究時代の次に進んだのが色彩表現時代で、夜のカフェテラスなど色彩の力を一気に開花させて時代である。ゴッホが赤と緑、黄と紫など隣接することで互いの色が引き立ち合う補色関係をよく理解した時代。ちなみに、私がゴッホ作品の中で一番好きなのが、この時代に描かれたとされる「夜のカフェテラス」である。

 そして最後に表現技法時代。間違いなく彼が最も悩み苦しんだ時代であろう。この時代に描かれた彼の絵には、不安などの負の感情が手に取る様に感じられる。そしてこの時代に彼は自ら命を絶ったと言われている。


 最後に自ら悲しい結末へと導いた美術家ではあるが、彼の作品は時代を問わずに美しさがあります。札幌に在住している方は是非とも道立近代美術館に足を運び、美の心を感じ取ってほしいと思う。美術品を目の当たりにするだけでも、あなたの中に美の引出しが一つ増え、豊かな人生への一歩になるはずです。

 最後までお読みいただきありがとうございました。



 ※最後にちょっと宗教家のような言葉を使ってしまいましたが、私は生まれてこの方無宗教でございまして、人様をどこかへ導こうなどという考えは持ち合わせていませんのでご理解を。



 
posted by シバモト at 14:16| Comment(0) | 美術・芸術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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